怒りは有意義な方向へ向けようよ、ネ?

初めて今の彼女が施設のクルマに乗って僕に会いに来て、そのころ担当していた児童を僕に会わせたのは、2年前のちょうど今ごろのことでした。その子の顔を見たとき、「うわっ、3歳児にしてもうヤンキー顔・・・」と思ったことを覚えています。

その子の里親になりたいという相談でしたが、さすがに気が進まなかったので断り、関係が断絶しかかりましたが、今では修復しています。子どもへの慈愛が深い彼女なので、それだけ彼を施設から出してあげたいと真剣に思い詰めていたんですね。優しい子でしょう? 僕は大好きです。

というわけで、僕は現役施設職員の彼女を介して、日本の児童養護シーンと間接的に繋がっている人間です。児童虐待だの近親相姦だの、僕のこれまでの人生とは何の関わりもなかった深刻な問題がいやでも目と耳に入ってきました。彼女の仕事での憔悴ぶりを見るだけでも、どういう世界なのか感得できるところがあるのです。

ネットでも当然、色々と調べものをしました。そんなとき、愛読していた『Mariaの戦いと祈り』という里親推進のブログを通じて、hashigotanさんのことを知ったのです。彼女は問題の記事で、Mariaさんが自ブログの扉に「家庭虐待のことは理解できないのでそのおつもりで」云々と丁寧な断り書きをつけたことをあげつらい、そこから始まったやりとりの結果、施設出身者の方全般に手ひどい中傷を浴びせ、相手側からも『hashigotan警報』という反撃サイトを立ち上げられたりして今に至っているのです。hashigotanさんが未だにコメント欄を閉じているのは、そのときの余波です。*1

hashigotanさんの発言を読んで正直、腹が立ちましたね。安定したネット環境を手に入れるだけでも死ぬほど苦労する施設卒園生のことを知っているだけに、ずいぶん勝手で甘えた因縁をつけてくるなあと。彼女の虐待経験を読んだらさすがに同情的にはなりましたが、それでも、あの種の酷い性虐待の話は僕が聞いた範囲だけでも絶無ではなく、Mariaさんなども読んだ限りではもっと大変な目に遭われているようです。何しろ児童レイプはおろか失踪・自殺といった話もありふれた部類に入る壮絶な世界ですよ。だから、「このhashigotanという人は同和ゴロなどと同じで、受けた虐待や差別を錦の御旗の如く振りかざし、ウェブでの発言権や人気という形での利権をせしめようとしている人、いうなれば<虐待ゴロ>ともいうべき存在なんだろうなあ」と悪印象をもっています。あのデスメタル的な文章芸それ自体は、割と心に響く部分もあるんですけどね。

彼女の受けた被害は、大変なものだと思います。それを否定するものではありません。彼女には、怒り狂う資格が十二分にあると思います。しかし、その怒りはもっと別のことに向けるべきではないでしょうか? ズバリ、「陰惨な性虐待が起こらない日本」を創るためにはどうしたらいいか、それを考えるところから始まる何かです。

Mariaさんや、そのご友人であるLeiさんは、自分たちのような「施設全部育ち」は人格形成に大きな支障を抱くことになるので、もうこれ以上作らないで欲しい、と主張されています。そこから導かれる「里親推進」という結論です。半ばご自分の過去を否定する作業ですから、血みどろの作業だと思いますよ。しかし、それが結果的には多くの里親さんの指針となり、心あるメンヘル系の人々を勇気づけているように見えます。

もちろん、多分に理想論的なところがありますよ。今の日本は子育てを忌避し、犬や猫の「里親」になるなどといって悦に入っている人だらけの倒錯した社会。生き物の「里親」になれるのは同種の生き物だけなので、これは言葉の誤用であり、人間の里親さんに育てられている子どもの気持ちを深く傷つけ、里親制度の推進も妨げている悪弊であるわけですが、そんなことにすら気づいてあげられない、心の余裕を見失った社会。この島全体が「ある一定の<生まれ方の条件>を満たさない限り子どもが幸せになれない」という意味で、絶滅収容所のようなものだな、といううっすらとした恐怖感を僕は抱いているくらいです(僕自身、里親になるという行為に対してはかなりの躊躇を未だに払拭し切れません。この上なく素晴らしい共同体への貢献だと頭では分かっていますが)。

そういう状況ですが、それでも、いや、だからこそ、MariaさんやLeiさんのような方たちの発言が真のオルタナティブとして尊重されているし、されるべきなのではないでしょうか? 今のところ、あのような意見はブログでしかお目にかかれない(何故でしょうね)ので、このような発言が読めるようになったことこそが、日本にブログが登場したことの意味ではないかと僕は考えています。

そういう視点から、id:hashigotanさんについてはっきり言えることがあります。あの方には、幼児への性虐待という核心となる問題に関して、何ひとつポジティブな提言がありませんね。違うでしょうか。全ての過去ログを読んだわけではないので今イチ不安ですが、「私のような目に遭う幼児がいなくなって欲しい」というような発言が何かありますか。全ては「俺が被害を受けた。俺が苦しい」系の発言のオンパレードではないでしょうか。

当事者だからこそ発することが出来、読者に重みをもって受け止められる言葉というものがあるのです。このエントリはふざけてid:idiotapeさんの消された名記事をもじって書き始めましたが、それにかこつけていうと、「お前らの幸せは妬ましいが、生まれてくる子どもは幸せになることを祈ってやるぞ」というような言葉があれば、このふたりは共存することが出来たのではないでしょうか?

やはり、id:hashigotanさんには心の病を強く感じますね。ズバリいえば、この方は自分と同類の被虐待児童が増えれば、嬉しいのではないでしょうか? このような方の発言を、これ以上持て囃すべきではないと強く思います*2。僕はこのようなネットの使い方が広まって欲しくない。これは、多くの人に届くべき声ではないです。届くべきなのは、MariaさんやLeiさんのような方々の声ですよ。

id:hashigotanさんへ。もしこれ以上ブログを続けるのであれば、Mariaさんへの謝罪から入られては如何ですか。そうすれば、あなたは真の<謙虚さ>というものを学ぶことができるでしょう。生き難さ比べをすればあなたの負けだ、といっているようなものかも知れませんが、そういう単純比較ではないつもりです。訴えたいのは、ネットの使い方なので。今の貴女のような生きる姿勢のどこに魅力がありますか*3。そして、魅力的になる可能性がゼロの人間などがどこの世界に存在しますか。あなたにも魅力的な生き方をして欲しい。魅力的な生き方とは、真の意味で社会に善き何かを贈ることの出来る生き方でしょう。魅力的になれば、幸せだってきっとつかめますよ。貴女の影響力は強い。ネガティブなエネルギーの中心にならんばかりの勢いだ。だからこそ僕は、面倒なことに関わるのはすんごいイヤなんだけど、敢えて一隅から意見表明をしておくことにしました。

*1:この出来事に関心のある方は、hashigotanさんのブログの2007年8月11日の記事をお読み下さい(いくらなんでも失礼なので、直リンクは貼りません)。Mariaさんもこの件にはもう触れられることを望んでいないようなので、興味がある方はキーワード「hashigotan/Mariaの戦いと祈り」「hashigotan警報」などで各自検索をかけて関連記事をお探しください。

*2:ここらへん過去の発言と矛盾したところもありますが、正直自分の気持ちが未だ一つにはまとまらないところがありますので、どうぞご了承下さい。確かにいえることは、ただ単に「病院にブチ込んどきゃいいんだよ」は暴論だよ、ということです。

*3:負の魅力は大いにありますね。僕も実はそれが嫌いではなかったりするので複雑です。しかしこの方の場合、それが同時に、いずれ当人の死に至る可能性もある公開自傷プレイを見せつけられているような重苦しい痛ましさを感じさせるのです。けっこう実社会でも人気が出そうなのに、そのネガキャラがネットで定着してしまったら、それから抜け出せなくなりそうな危惧を感じます。抜け出せなくて結構、と思っているのは案外、彼女のファンの方では? 応援しつつ実はその人が犠牲になるのを見たがっているファン心理というのはあるでしょう。この方はその恐ろしい構図に気づいているのでしょうか。別に世直し志向になるほどのポジティヴさをもたなくてもいいだろうという人もいますが、本気で治ろうとする人は他人のことも必ず思いやるようになるものだと信じます。とにかく僕は今回の出来事から「日本のネットユーザはべたに不幸な人(悪くいうと「幸福になれる可能性すら諦めるポーズに開き直ったゴロ弱者」)が多そう」という印象を得て、ちょっと気が滅入りました。