日本は場所柄が基本的に陰惨なので、ディズニーのランドとかシーが人気あるんだよな。

おでは日本のムラ空気が息苦しいが、欧米のきっつい個人主義も嫌なわがまま者。というわけで、日本が将来いい塩梅に半アジア・半欧米化してくれるとありがたいんだお。

だから、そういう空気を体現している場所として、この前ディズニー・シーというところに彼女と行った。全面的な没頭はできんかったね。「何これ、浦安を一見きれいに埋め立てとるだけやん」と。「誰よりも縄文顔の姉ちゃんが<キャプテンがどうこう>とかいうなよ」と。それなりに楽しかったけど。

で、思う。今の日本のブログ界も結局ディズニーのランドとかシーそっくりなんだよ。袋は欧米からの輸入品だけど、そこに盛る酒は土着品種。で、登場人物は着ぐるみならぬ匿名のIDで扮装しとる。そこら中、おずおず堂々とマウス耳をつけたもんだらけ(おでも含めてな)。

土台がじめじめした沼沢地を埋め立てたところだから、土着の怨念だって簡単に噴出する。最近その一番人気のアトラクションになっているのが、hashigotanによる負の情念のエクスプロージョン・ショーだね。おでも怖いもん見たさ的に好き。あれはすごい。芸があるし、実は彼女とうまくいっていないところもあるので、その孤独の苦しみを代弁してくれる気もする(誰かもいってたけど、パートナーができても孤独は癒されないんお。むしろ関係性の地獄というのは文字通りの地獄になりうるんお。恋愛を過度に理想化しないで欲しいので、ある人々には地雷と知りつつおでは「彼女」とか書いてるんお)。

ああいう性虐待被害者の方は、これまで泣き寝入りするしかなかったと想像する。下手に反抗しようものなら、強い家長が登場して座敷牢にブチこまれるとか、そういう陰惨極まりない世界を連想してしまう。そういう意味では、ブログというものが普及して本当に良かった。これまで恨みを抱いて亡くなった被害者の方々の分まで吼えて吼えて吼えまくれ!― おでは基本的にそう考えているっす。

ただ残念なのは、日本では「幸せを大っぴらに口にする者をボコって封じ込める」伝統ラインも他方では存在しており、hashigotanもそちらには全面的に加担しているといわざるをえない点だ。あの方は長幼の序にやたらうるさいしね・・・(「新人ブロガーはでかい顔をするな」とか)。舶来メディアの恩恵を誰より蒙っているくせに、肝心のメンタリティの中核が日本的な保守本流なんだよ。

いいじゃないか、ブログで幸せを口にしても。それでなくても、日本は幸福そうに見える人が少ない国なんだよ。おでたちは幸せな生き物を見るためにはディズニーのランドとかシーに行って、ねずみの出来損ないのマスクに張り付いた笑いなどの作り物に接するしかないのか? 聞けばid:idiotapeさんはブログを撤退したとか。なんちゅうことするねん。ああいう「ヤァ! アイム・ハッピー!!」的な天真爛漫さを上手に自己演出した「ミッキーキャラ」の存在が許されないなら、ブログはディズニー浦安ランドおよびシーにも劣る悪場所だということになるぞ。

人生というのは、シーにある「センター・オブ・ジ・アース」のようなものなんだよ。「タワー・オブ・テラー」でもいいかも知れない。沈んだら浮き上がるし、浮き上がったら沈む法則があるんだ。おまえは第二のねこぢるになりたいのかと。自傷キャラが定着してしまったら、その物理法則が意志とは無関係におまえを動かし、自殺に向かうかも知れんぞ、と。

日本というのは誰にとっても多かれ少なかれ生きるのが難しい場所なんだ。それは、おでのようなアンビヴァレントな思いを抱いた者が今や多数派だからだ。そのなかでもhashitotanは特に難しいポジションに置かれていると思う。だからこそ色々考える刺激を与えられもするんだけどね。

とりあえず、その芸風がとても危険であることは自覚して欲しい。ねこぢるパターンは歩むなよといいたい。・・・今日はこれくらいにしておきます。